《職場の教養に学ぶ》
お題:力戦奮闘
2024年9月17日(火曜)
【今日の心がけ】仕事にベストを尽くしましょう
砂川昇建の思うところ
正岡子規(まさおか しき、1867年9月17日 - 1902年9月19日)は、明治時代の日本を代表する俳人・歌人・俳論家・評論家で、近代俳句・短歌の革新者として知られています。彼の本名は常規(つねのり)ですが、幼少期から「升(のぼる)」と呼ばれていました。正岡子規は、俳句や短歌の伝統的な形式を変革し、その後の日本文学に大きな影響を与えた人物です。東京大学予備門(現在の東京大学)に進学し、そこで後に文壇の同志となる夏目漱石と出会います。1892年、結核(当時は「肺病」と呼ばれていた)を発症し、「子規」という雅号を用いるようになります。「子規」はホトトギスを意味し、この鳥が血を吐くまで鳴くと言われていたことから、自身の病状と重ね合わせたものでした。晩年は病床に伏しながらも、病気との闘いをテーマにした「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」などの随筆を執筆し、死の直前まで筆を折ることはありませんでした。それまでの俳句は、芭蕉や蕪村の影響を受けた形式的・観念的なものが主流でしたが、子規は「写生」を重視し、自然をありのままに描写することを提唱しました。このアプローチにより、俳句は新しい表現の可能性を広げました。正岡子規は、俳句と短歌の両方で革新を行い、明治時代の日本文学に大きな影響を与えた人物です。彼の写実主義と批評精神は、文学の新しい時代を切り開き、その後の俳句・短歌界に深い足跡を残しました。若くして病に倒れながらも、彼の文学的情熱と革新精神は今もなお、多くの人々に感動と影響を与え続けています。
著者 砂川昇建