《職場の教養に学ぶ》
お題:立場と役割
2024年8月7日(水曜)
【今日の心がけ】謙虚に業務に臨みましょう
砂川昇建の思うところ
春日局(かすがのつぼね、本名:斎藤福)は、江戸時代初期に将軍徳川家光の乳母として重要な役割を果たした女性です。春日局は1569年に生まれ、父親は明智光秀の家臣である斎藤利三でした。しかし、1582年の本能寺の変で明智光秀が討たれた際、彼女の父も処刑され、一家は一夜にして地位と財産を失いました。この事件により、彼女は幼少期から逆境を経験しました。斎藤福(春日局)は若くして稲葉正成と結婚し、3人の子供をもうけました。しかし、彼女の夫は徳川家に仕える一方で、家庭生活は決して安定していませんでした。福は家庭を守りつつ、厳しい状況で子供たちを育てる必要がありました。春日局の人生が大きく変わったのは、徳川家光の乳母として仕えるようになってからです。家光の乳母として、彼女は厳しい教育を施し、家光が将軍としての素質を身につけるよう努めました。彼女は自分の子供を犠牲にしてでも家光に尽くす姿勢を貫きました。宮廷内での政治的な争いも、春日局の人生に大きな影響を与えました。彼女は家光の信頼を得る一方で、他の家臣たちとの競争や嫉妬に直面しました。彼女は策略を巡らせながら家光を支え続け、将軍家の安定を図りました。家光の治世が安定すると、春日局も次第に影響力を失っていきました。しかし、彼女は最後まで家光に忠誠を尽くし、隠居生活に入った後も徳川家の繁栄を願い続けました。1643年に75歳で亡くなるまで、彼女は多くの困難を乗り越えました。春日局の生涯は、困難に対する忍耐力や献身の重要性を示しています。彼女の強い意志と忠誠心は、後世の多くの人々に感動と教訓を与えています。人間、誰しも自身が主役と考えて生きていますが、誰かの、日本一の右腕として活躍する事も素晴らしい事かも知れませんね。
著者 砂川昇建