《職場の教養に学ぶ》
お題:花火が紡ぐ絆
2026年8月29日(土曜)
【今日の心がけ】地域のつながりを意識しましょう
砂川昇建の思うところ
花火の祖先は、中国で発明された火薬です。9世紀ごろには硝石・硫黄・木炭を利用した火薬が知られるようになり、当初は宗教的な儀式や魔除け、やがて軍事目的にも使われました。現在のような花火へ発展していくのはその後です。火薬の技術が西方へ伝わり、ヨーロッパでは祝典などの「見せる火薬」へ発展しました。日本に火薬が本格的に入ってきたのは、16世紀の鉄砲伝来以降です。戦国時代ですから、当然ながら最初の目的は花火大会ではなく武器でした。江戸時代になって戦争が減ると、火薬を平和利用する技術が発達します。江戸初期には花火を見物した記録が現れます。徳川家康が花火を見たという有名な記録もあり、1613年に外国人が家康に花火を披露したとされています。日本では「夏=花火」なのでしょうか?大きな転機は1733年(享保18年)の両国の川開きとされています。その前年の1732年(享保17年)、西日本を中心に「享保の大飢饉」が起こり、さらに江戸では疫病が流行しました。8代将軍・徳川吉宗の時代です。翌1733年、両国の川開きに際して、疫病などによる死者を慰霊し、悪疫退散を祈る水神祭が行われ、その際に花火が上げられました。これが現在の隅田川花火大会につながるものとされています。つまり、日本の夏の花火には、単なる娯楽だけではなく、亡くなった人を弔う → 疫病退散を願う → 夏の暑さをしのぐ → 大勢で夜空を楽しむ、という文化が重なっているのです。花火製造が参加地域、長野県は花火製造が非常に盛んな地域です。信州煙火工業、紅屋青木煙火店、伊那火工堀内煙火店など著名な煙火業者があり、諏訪湖祭湖上花火大会も有名です。江戸時代の花火は、今のような赤・青・緑・紫のカラフルな花火ではありませんでした。 当時の花火は基本的に橙色に近い色です。現在の鮮やかな色彩は、金属元素を利用する「炎色反応」の技術が発達してからです。例えばストロンチウム=赤、ナトリウム=黄、バリウム=緑、銅=青という具合です。ところで、日本では硝石の鉱床がないので火薬は作れませんでしたが、加賀藩領の五箇山で、主として養蚕で出る蚕糞・草・土などを利用し、微生物の硝化作用によって硝酸塩を蓄積させ、それを精製して火薬原料の硝石を生産ししていたそうです。糞尿から硝石をつくり火薬にしていたとは驚きですね。ヨーロッパでも人糞を利用して作られていたそうです。花火では使って欲しくないですね。そしてこれは、「下水処理の微生物」の話と実は一本につながっています。現代の下水処理も江戸時代の五箇山の硝石作りも、窒素を変化させる微生物の働きを利用しているのです。発酵食品も健康に良いですが、微生物の効用は凄いですね。
著者 砂川昇建




