砂川昇建会長ブログ 職場の教養に学ぶ!~転ばぬ先の杖~

砂川昇建 職場の教養に学ぶ!~転ばぬ先の杖~

《職場の教養に学ぶ》

お題:先達の足跡に学ぶ

2026年9月11日(金曜)

【今日の心がけ】支えてきた人々への感謝を深めましょう

砂川昇建の思うところ

道元禅師は「人間は生きているのではなく、生かされている」と説いています。道元の思想では、「私」という存在だけを世界から切り離して考えません。食べ物があり、水があり、太陽があり、大地があり、それを育てる人がいる。さらに、その人を支える無数の人や自然がある。自分一人の力だけで成立している生命などありません。だから「私が自分の力で生きている」という見方を深めていくと、無数の縁によって、今ここに自分の生命が成り立っていることに行き着きます。ただし、「誰かに生かしてもらっているから感謝しなさい」という道徳だけではありません。もっと根本的に、自分と世界は初めから切り離されたものではない、というところまで踏み込むのが禅の思想です。高尚な教えだけではなく、料理をつくるから学ぶ「典座経典」があります。典座とは、禅寺で修行僧の食事を司る役目です。現代的な感覚では、「料理係」は坐禅や経典の勉強をする人より、一段下の裏方仕事のように思えるかもしれません。しかし道元はそう考えません。米を研ぐことも、野菜を扱うことも、食事を作ることも、それ自体が仏道の修行である。ここが大切です。悟りという特別な境地が日常生活とは別の場所にあって、そこへ到達するために炊事をするのではありません。私たちは「食べ物に感謝しましょう」と言います。もちろん、それも大切です。しかし道元の教えをさらに深く見ると、「食べ物をありがたく思う私」と「ありがたく思われる食べ物」が、完全に別々に存在しているわけではないというところまで進みます。一粒の米が自分の身体になる。水も野菜も、自分の生命になる。そして自分自身も、やがて別の生命や世界を支える側になります。つまり、「私が生命をいただいて生きる」のではなく、生命が生命を支えながら、この世界全体が成り立っている。その大きな関係の中に「私」もいる。ここに「生かされている」という言葉の深みがあります。米を一粒一粒大切に扱う。野菜を粗末にしない。食べる人のことを考えて調理する。目の前の仕事に心を尽くす。その行為そのものの中に仏道がある。という考え方です。会社には生業(なりわい)があります。社会からお金を出す価値があると認められ、収入があり、規則があり、教育があり、安心して生活ができます。いやならやめればいいや、と考える軽薄な思想がもたらすのもは、なぜ嫌なのかを考えず、自分の未熟さから来る不快感まで全部「自分に合わない」で処理してしまう「負け癖人生」を固める積み重ねです。

著者 砂川昇建

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