《職場の教養に学ぶ》
お題:世代を超えて
2025年12月18日(木曜)
【今日の心がけ】お互いの価値を認め合いましょう
砂川昇建の思うところ
私の母親の世代は、井戸から水を汲んで入れたカメを子供が頭にのせて運んでいたそうです。子供でもりっぱん戦力だったんですね。味噌や醤油も自分で作っていたそうです。なんでも自分でやるから体力も尽くし知恵もあります。現代社会は、スマホやネットで簡単に情報が手に入りますから、手紙を書く事すら面倒臭いと考えるでしょう。つまり、便利さと引き換えに、怠慢や体力、考える力を失っています。「昔は大変 だった」「今は楽になった」という対比ではなく、人間の能力と環境の関係についての哲学的な考察を考えてみたと思います。便利さは“負荷”を取り除く。しかし、人は負荷によって成長する。昔の生活では、 水を汲む、火を起こす、味噌や醤油を作る、物を直し、工夫して使う といった「日常の負荷」が常にありました。この負荷は、筋力、忍耐力 生活技術、工夫する力、家族の協力関係を生み出す “訓練の場” でした。便利になると、人間は “やらないで済む” ようになる→ “やらない” ことが習慣になる。→ 結果として能力が退化していく。スマホで例えると、情報は探す必要がない → 「調べる力」が低下。文章はAIが作る → 「書く力」が低下。画像や地図が案内してくれる → 「記憶力」や「方向感覚」が低下。ネットに繋がれば仲間がいる → 「地域の人間関係」が消える。便利さは悪ではありませんが、便利になるほど人は努力しなくても生きられる構造に陥ります。退化の正体は「選択しなくなること」便利とは、「何も選ばなくても生きられる」状態です。昔の子供は、水を運ばないと飲めない、畑を手伝わないとご飯が食べられない、 家事や細々した作業を分担しないと生活が成立しない。毎日が「選択と行動」の連続でした。現代の子供は、水道をひねれば水が出る。スーパーで加工食品が買える。スマホが退屈を埋める。自分で選ばなくても生活が回るので、主体性が育つ機会自体が少ないのです。不便さは、人を「できるようにする」便利さは、人を「できなくする」。これは文明の根本的なパラドックスです。便利さの中にも、自分が退化している事を認識して行動する事が大切です。
著者 砂川昇建




