《職場の教養に学ぶ》
お題:石垣の力
2025年2月4日(火曜)
【今日の心がけ】職場内の結束力を高めましょう
砂川昇建の思うところ
大阪城の石垣は、江戸時代の初期(1620年頃)に徳川幕府が豊臣家の再興を防ぐために築かれました。その際、全国の大名に**「天下普請(てんかぶしん)」**として命じ、大規模な石材の運搬と工事が行われました。大名は、自分の藩から石を運び、大阪城の石垣を築くことで、幕府への忠誠を示す必要があった。数百万個の石が使用されたと推定される。最大の石は「蛸石(たこいし)」で、約108トン。加藤家(熊本藩)が運んだとされる。刻印(藩のシンボル)**が彫られた石が約6,000個以上現存。江戸時代の技術で、どうやって100トン近い石を運んだのか?石材は、瀬戸内海や紀伊半島、能登半島などの海に近い山から切り出された。「石切丁場(いしきりちょうば)」と呼ばれる採石場が使われた。切り出した石は、船で大阪まで運ばれた。大阪湾に到着後、石を城まで運ぶ必要があった。丸太の上に石を乗せて転がしながら移動。牛に引かせて重い石を移動。数十人の人力で「てこ」や「滑車」を使って動かした。運河や川を掘って、少しでも効率的に運搬。 地面が凍ると滑りやすく、運びやすい。沖縄の塀(石垣)には「石敢當」と言う石碑がおかれています。特にT字路は今でも多く見受けられます。古代中国の伝説で、「石敢當」という名の武将が強かったことから、魔除けとしてその名を刻んだ石碑が作られるようになった。
著者 砂川昇建
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